抽象度

公理と世界銀行と貧困と1ドルという単位についての考察(その3)

公理と世界銀行と貧困と1ドルという単位について考察しました。(その3)

「国際貧困ライン」とは、

世界の最貧国の数を把握するために考案された。

いくつかの最貧国と呼ばれる国々を基準にした。

世界各国の国民の生活における、経済状況を相対的に測定した。

これらの結果として、導き出された指標である。という概念のようです。

そして、

「国際貧困ライン」という指標を導き出した結果として、

「国際貧困ライン」とは「1日1ドル」である。という単位としての概念が誕生したようです。

結論として、

世界銀行が各国の経済状況を測定して導き出された結果が、

(偶然にも)結果としての、

「国際貧困ライン」であり「1日1ドル」という概念である。そうです。

しかし、

ここまでの「国際貧困ライン」と「ドル」という概念を決定するプロセスに対しまして、

(偶然にも)という(偶然性)にという点に関して大きな疑問を持ちました。

世界銀行という、世界的にも大きな影響力を持ち、国際連合にも関わりのあるとても大きな責任を持つ機関が公理としての「国際貧困ライン」を、(偶然の結果からの数値)を理由に決定するのであろうか。

そのため、

(偶然にも)(偶然性)という言葉、及び概念を

(必然にも)という(必然性)(必然的に)という言葉、及び概念に変換して考察します。

先ほどの、世界銀行が「国際貧困ライン」を決定した6つのプロセスを逆の順序で考察します。

1.「国際貧困ライン」を「1日1ドル」と定義する。

2.選抜された6カ国の「国別貧困ライン」をおよそ「1日1ドル」と認識する。

3.最貧国の6カ国を選抜する。

4.各国の「国別貧困ライン」を比較する。

5.世界各国の「国別貧困ライン」を計算する。

6.その国でそれ以下の収入では、最低限の栄養、衣類、住まいのニーズが満たされなくなるというレベルを「国別貧困ライン」と定義する。

そして、上記のプロセスを考察し、まとめます。

第1に、「国際貧困ライン」を「1日1ドル」と定義します。

第2に、各国の「国別貧困ライン」を計算します。

第3に、その国でそれ以下の収入では、最低限の栄養、衣類、住まいのニーズが満たされなくなるというレベルを「国別貧困ライン」と定義する。

さらに、プロセスをまとめます。

第1に、「国際貧困ライン」を「1日1ドル」と定義します。

第2に、「国際貧困ライン」を「(世界各国的に)それ以下の収入では、最低限の栄養

、衣類、住まいのニーズが満たされなくなるというレベル」と定義します。

最終的にまとめます。

「1ドル」という概念とは、

「1日あたりの国際貧困ライン」という概念である。且つ

「(世界各国的に)1日あたり、それ以下の収入では、最低限の栄養、衣類、住まいのニーズが満たされなくなるというレベル」の概念である。

と結論します。

以上の考察により、このように、

「1ドル」という概念と、

「(世界各国的に)1日あたり、それ以下の収入では、最低限の栄養、衣類、住まいのニーズが満たされなくなるというレベル」という概念とを結びつけるために考案されたのが、「(1日当たりの)国際貧困ライン」という概念である。

さらに言い換えます。

「1ドル」という概念の意味とは、

「(世界各国的に)1日あたり、それ以下の収入では、最低限の栄養、衣類、住まいのニーズが満たされなくなるというレベル」という概念である。

と結論します。

また、さらに、

このように、(公理を決定する機関にとって)公理という概念を決定する際には、

偶然的にという、いわば帰納法的な測定からの考察による、という偶然性ではなく、

必然的にという、いわば演繹法的な考察からの測定による、という必然性なプロセスの選択が、

(公理を決定する機関にとって)、

法律的、技術的、及び経済的に最小のリスク且つ、最大の効果且つ、最適の選択である。

と結論いたします。

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公理と世界銀行と貧困と1ドルという単位についての考察(その2)

公理と世界銀行と貧困と1ドルという単位について考察しました。(その2)

先ほどの文章のにおいて「貧困ライン」や「ドル」というキーワードに注目して考察します。

先ず、それらのキーワードに関係のある文章を先ほどの文章から、以下に抽出して記述します。

「国際貧困ライン」とは、

「貧困を定義するためのボーダーライン」で、

「2011年の購買力平価(PPP)に基づき(1日1.90ドル)(2015年以降)に設定されています。」

「国別貧困ライン」を確認します。

「その国でそれ以下の収入では、最低限の栄養、衣類、住まいのニーズが満たされなくなるというレベルが、国別貧困ラインです。」

「まず最貧国数カ国の国別貧困ラインを検証し、それを購買力平価(PPP)を用いて共通の通貨価値に 換算するという方法です。」

「PPPとは、ある国である価格で買える商品やサービスが他の国ならいくらで買えるかを示す換算レートです。」

「 共通の通貨に転換すると、これらの最貧国の内6カ国における国別貧困ラインが1人当たり1日約1ドルになることが分かり」

「これが最初の国際貧困ライン(1990年時点)である1日1ドルの根拠となりました。」

以上の文章を抽出しました。

そして、「国際貧困ライン」が世界銀行により決定されたプロセスを以下にまとめます。

「国際貧困ライン」とは、

1.その国でそれ以下の収入では、最低限の栄養、衣類、住まいのニーズが満たされなくなるというレベルを「国別貧困ライン」と定義する。

2.世界各国の「国別貧困ライン」を計算する。

3.各国の「国別貧困ライン」を比較する。

4.最貧国の6カ国を選抜する。

5.その選抜された6カ国の「国別貧困ライン」をおよそ「1日1ドル」と認識する。

6.「国際貧困ライン」を「1日1ドル」と定義する。

さらに、この6つプロセスより考察してまとめます。

「国際貧困ライン」とは、

世界の最貧国の数を把握するために考案された。

いくつかの最貧国と呼ばれる国々を基準にした。

世界各国の国民の生活における、経済状況を相対的に測定した。

これらの結果として、導き出された指標である。という概念のようです。

そして、

「国際貧困ライン」という指標を導き出した結果として、

「国際貧困ライン」とは「1日1ドル」である。という単位としての概念が誕生したようです。

結論として、

世界銀行が各国の経済状況を測定して導き出された結果が、

(偶然にも)結果としての、

「国際貧困ライン」であり「1日1ドル」という概念である。そうです。

しかし、

ここまでの「国際貧困ライン」と「ドル」という概念を決定するプロセスに対しまして、

(偶然にも)という(偶然性)にという点に関して大きな疑問を持ちました。

世界銀行という、世界的にも大きな影響力を持ち、国際連合にも関わりのあるとても大きな責任を持つ機関が公理としての「国際貧困ライン」を、(偶然の結果からの数値)を理由に決定するのであろうか。

次回に続きます。

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公理と世界銀行と貧困と1ドルという単位についての考察(その1)

公理と世界銀行と貧困と1ドルという単位について考察しました。(その1)

世界銀行のホームページによりますと、世界的に貧困という概念は、1日あたり1.9ドル以下で生活している水準のことをいうそうです。

公共広告などで、現在1日あたり2ドル以下の金額で生活している人間は世界中で何億人もいます。という文章をよく見かけます。

その度に、日本人として生活しているということは如何に恵まれていることかと考えさせられます。

しかし、私たちが普段何気なく使用している、

ドルや円などというお金という存在及び、貧困という概念とは、一体どのような概念で成立している情報であるのか。

1ドルという情報や単位の持つ概念とはどのような概念なのか。

いつ頃、どこで、誰が、どのようにして決定しているのか。

どのような公理があり成立している概念なのか。

という疑問は普段はあまり持ちませんでした。

そこで、先ず今回は、

上記の事柄を考察をするにあたり、

「貧困」「ドル」というキーワードで検索を行いました。

検索の結果、世界銀行のホームページに記事がありました。

世界銀行のホームページより以下に引用します。

世界の貧困に関するデータ

国際貧困ライン 世界銀行

世界銀行は、2015年10月、国際貧困ラインを2011年の購買力平価(PPP)に基づき、1日1.90ドルと設定しています。
(2015年10月以前は、1日1.25ドル)

世界の貧困率および貧困層の数
貧困率 1990年:36% 2015年:10%
貧困層の数 1990年:18億9500万人 2015年:7億3400万人
(*2011年の購買力平価に基づき、国際貧困ラインを1日1.90ドルで計算)

Q. 国際貧困ラインとは何ですか?また、国際貧困ラインを基準とした場合、世界にはどれくらいの極度の貧困層が存在しますか?

A. 国際貧困ラインとは、貧困を定義するためのボーダーラインで、2011年の購買力平価(PPP)に基づき1日1.90ドルに設定されています。2015年には、極度の貧困層は、世界人口の10%となる7億3,600万人に減少しており、25年間で11億人以上が極度の貧困から脱出しています。

Q. 国際貧困ラインはどのようにして決定されるのですか?

A. まず、国別貧困ラインを確認します。その国でそれ以下の収入では、最低限の栄養、衣類、住まいのニーズが満たされなくなるというレベルが、国別貧困ラインです。当然ながら、裕福な国ほど貧困ラインは高く、貧しい国ほど低くなる傾向にあります。

ですが、世界全体の極度の貧困層の数を把握するためには、ただ単に各国の貧困層の数を足せば良いわけではありません。貧困層を定義する基準が国によってそれぞれ異なるからです。そのため、全ての国の貧困層を同じ基準で測定する貧困ラインが必要になります。

1990年、独立した研究者のグループと世界銀行は、世界の貧困層の数を把握するため、最貧国の基準を用いた測定法を提案しました。まず最貧国数カ国の国別貧困ラインを検証し、それを購買力平価(PPP)を用いて共通の通貨価値に 換算するという方法です。PPPとは、ある国である価格で買える商品やサービスが他の国ならいくらで買えるかを示す換算レートです。 共通の通貨に転換すると、これらの最貧国の内6カ国における国別貧困ラインが1人当たり1日約1ドルになることが分かり、これが最初の国際貧困ラインである1日1ドルの根拠となりました。

2005年、各国間の物価に関する比較可能なデータがより多く集められ再度検討が行われた結果、国際貧困ラインは、世界の最貧国の内15カ国の国別貧困ラインを基に改定されました。これら15の国別貧困ラインを平均すると、1人当たり1日1.25ドル(前回同様PPPベース)となり、これが改定後の新たな世界貧困ラインとなりました。

そして2015年に再び、2005年と同じ15の最貧国の国別貧困ラインを用いて(つまり測定基準を変えずに)、1.90ドル(2011年のPPPベース)という新国際貧困ラインへの改定を決定しました。

引用終了します。

次回に続きます。

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集合知(集合知識)としての公理と論理と矛盾とフォートトークについての考察(その4)

前回からのまとめとしての考察です。

国民及び投票有権者への、国会から発信する、国会での議事の内容の伝達。及び、

国民及び投票有権者から、国会へ発信する、国会への公理の決定への意思表示としての投票行為の伝達。

上記2つの双方向の情報伝達が、国民及び投票有権者と国会との、それぞれの間において、何段階もの機関を経ている。

そのため、

各情報の評価が段階を経るごとに変化して、最終的な情報の評価の変化及び、情報の意味の変化が存在し、且つ、情報の意味の変化が大きくなる。と結論します。

主に、法律的な側面、技術的な側面及び、経済的な側面が考察されます。

考察するためには、未来の状況から現在の状況を考察する視点が必要です。

さらにまとめとしての考察です。

(以上の問題は全て、苫米地博士が考案された、このフォートトークの哲学概念及び技術の存在によって解決済みであると認識しています。)

来るべき未来での国民及び投票有権者の各国での状況は

(以降全てフォートトーク経由にて)

国民及び投票有権者は、国会に所信表明書や意見陳述書や質問主意書を国民及び有権者が直接提出している。

国民及び投票有権者は、国会での議論に直接的に参加している。

国民及び投票有権者は、国会に直接民主主義としての国民投票を行う。

国民及び投票有権者は直接的に公理及び公理の評価及び公理の意味を認識している。

という状況であると認識しています。

そして、集合的実名主義による

フィート空間やフィート空間概念を、

フィート領域やフィート領域概念と認識しています。

ここで、領域とはある概念を持つ情報と、そのある概念とは別の概念を持つ情報とが、相互作用をしている情報及び空間を持つ概念とします。

さらに、このフィート領域に対する意識や認識及び、この領域に対する知識の働きかけという作用に対し、知識の共有及び知識の増大という恩恵をこのフィート領域からの相互作用として得ている。という概念をフィート概念とします。

最後に、近未来のイメージを考察します。

国民が所信表明書や意見陳述者や質問主意書を提出する国会同様の空間が、

この集合的実名主義によるフィート空間であると認識しています。

そして、国民が集合的実名主義によるフィート空間に投稿した情報は、国会への所信表明書や意見陳述書や質問主意書という情報と同じ概念を持つ情報であるとします。

さらに、国民の集合的実名主義によるフィート空間とはフィート領域という概念でもあり、フィート概念でもあるとします。

国民は提出した以上のさらに様々な知識をフィート概念での相互作用から得ています。

最終的に、国民は公理を決定する際の国民投票の場において、

集合的実名主義、知識、空間、領域や相互作用などという概念を全て包摂しているフィート概念上の、

豊富な知識を用いて最善の評価の判断を決定し続けています。

最後になりますが、

国民の議論への参加及び投票行動により、公理が変化することによって、

国民の公理への評価が変化し、国民に対する公理の意味が変化します。

そして、国民が認識している様々な概念の定義も変化し、

国民の様々な定義の評価も変化し、国民に対する様々な定義の意味も変化します。

そのため、現在の私たち国民に必要なのは、

先ず、私たち国民が公理及び公理を決定する機関及び、公理を決定する方法などの公理に対する概念や公理という情報への認識を、より意識して再認識すること。及び、

可能な限りのあらゆる全ての情報を意識し続けて認識し続けることである。と結論します。

集合知(集合知識)としての公理と論理と矛盾とフォートトークについて考察しました。(その4)

前回からのまとめとしての考察です。

国民及び投票有権者への、国会から発信する、国会での議事の内容の伝達。及び、

国民及び投票有権者から、国会へ発信する、国会への公理の決定への意思表示としての投票行為の伝達。

上記2つの双方向の情報伝達が、国民及び投票有権者と国会との、それぞれの間において、何段階もの機関を経ている。

そのため、

各情報の評価が段階を経るごとに変化して、最終的な情報の評価の変化及び、情報の意味の変化が存在し、且つ、情報の意味の変化が大きくなる。と結論します。

主に、法律的な側面、技術的な側面及び、経済的な側面が考察されます。

考察するためには、未来の状況から現在の状況を考察する視点が必要です。

さらにまとめとしての考察です。

(以上の問題は全て、苫米地博士が考案された、このフォートトークの哲学概念及び技術の存在によって解決済みであると認識しています。)

来るべき未来での国民及び投票有権者の各国での状況は

(以降全てフォートトーク経由にて)

国民及び投票有権者は、国会に所信表明書や意見陳述書や質問主意書を国民及び有権者が直接提出している。

国民及び投票有権者は、国会での議論に直接的に参加している。

国民及び投票有権者は、国会に直接民主主義としての国民投票を行う。

国民及び投票有権者は直接的に公理及び公理の評価及び公理の意味を認識している。

という状況であると認識しています。

そして、集合的実名主義による

フィート空間やフィート空間概念を、

フィート領域やフィート領域概念と認識しています。

ここで、領域とはある概念を持つ情報と、そのある概念とは別の概念を持つ情報とが、相互作用をしている情報及び空間を持つ概念とします。

さらに、このフィート領域に対する意識や認識及び、この領域に対する知識の働きかけという作用に対し、知識の共有及び知識の増大という恩恵をこのフィート領域からの相互作用として得ている。という概念をフィート概念とします。

最後に、近未来のイメージを考察します。

国民が所信表明書や意見陳述者や質問主意書を提出する国会同様の空間が、

この集合的実名主義によるフィート空間であると認識しています。

そして、国民が集合的実名主義によるフィート空間に投稿した情報は、国会への所信表明書や意見陳述書や質問主意書という情報と同じ概念を持つ情報であるとします。

さらに、国民の集合的実名主義によるフィート空間とはフィート領域という概念でもあり、フィート概念でもあるとします。

国民は提出した以上のさらに様々な知識をフィート概念での相互作用から得ています。

最終的に、国民は公理を決定する際の国民投票の場において、

集合的実名主義、知識、空間、領域や相互作用などという概念を全て包摂しているフィート概念上の、

豊富な知識を用いて最善の評価の判断を決定し続けています。

最後になりますが、

国民の議論への参加及び投票行動により、公理が変化することによって、

国民の公理への評価が変化し、国民に対する公理の意味が変化します。

そして、国民が認識している様々な概念の定義も変化し、

国民の様々な定義の評価も変化し、国民に対する様々な定義の意味も変化します。

そのため、現在の私たち国民に必要なのは、

先ず、私たち国民が公理及び公理を決定する機関及び、公理を決定する方法などの公理に対する概念や公理という情報への認識を、より意識して再認識すること。及び、

可能な限りのあらゆる全ての情報を意識し続けて認識し続けることである。と結論します。

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集合知(集合知識)としての公理と論理と矛盾とフォートトークについての考察(その3)

集合知(集合知識)としての公理と論理と矛盾とフォートトークについて考察しました。(その3)

先ず、考察に先立ちまして、ここで、

公理とは、(自然権を持つ)人間による、ある(それぞれの人間は対等な立場である複数の人間である)集まりにおいて、十分な意見が交わされる議論を経て、形成及び決定された集合知(集合知識)のことである。と定義します。

そして、

公理という概念は普遍な存在では無いという概念である。

公理という概念は、時間認識概念と共に新しく加算される概念である。

公理という概念が、歴史認識概念であり、意味という概念に含まれている概念である。とそれぞれ定義します。

公理という概念について考察します。

公理により、定理が決定されます。

決して普遍ではないという概念から、

普遍では無いという概念を満たす((普遍では無い概念の内部の概念として)普遍な概念である))定理という概念が構成されます。

ここでも、(普遍では無いという概念)への認識を(矛盾が有るという概念)への認識と結びつけることが可能で有るとします。

ここでも、

西洋哲学は、矛盾及び認識及び矛盾の認識などの概念から構成されていると認識いたします。

公理を現在の国会や法律などの概念から考察します。

現在では、公理の決定機関は、概念的に(各国という単位の集まりでの立法機関であり最高機関である)国会が等しい意味での概念及び存在であるとします。

私たちは、現在、次々と生み出されている法律という公理及び、法律という公理に基づくさまざまな定義の評価の変更及び、定義の意味の変更を、新しい知識として持つことが難し苦なっている。

先ず、

日本国における国会での民主主義は間接民主制である。

そのため、

国民及び投票有権者が、国会内での議事を知ること及び公理を決定する手段としての投票行為を伝達する手段は限られている。

国民及び投票有権者に、国会内での議事を伝達する手段を担う責務を持つ機関は限られている。

国民及び投票有権者に、国会内での議事を伝達する手段を担い責務を持つ機関はほぼ全て(利害関係という概念を持つ)民間機関である。

つまり、

国会から、国民及び投票有権者へ発信する、国会での議事の内容の伝達。及び、

国民及び投票有権者から、国会へ発信する、国会への公理の決定への意思表示としての投票行為の伝達。

上記2つの双方向の情報伝達が、国民及び投票有権者と国会との、それぞれの間において、何段階もの機関を経ている。

そのため、

各情報の評価が段階を経るごとに変化して、最終的な情報の評価の変化及び、情報の意味の変化が存在し、且つ、情報の意味の変化が大きくなる。と結論します。

さらに、上記の結論の否定的な部分を是正する方法を提案して考察します。

(苫米地博士の提案を参考にしています。)

(法律などの決定に対する意思表示としての投票行為を間接的に行う)間接民主制を変更する。

(法律に対する専門的な知識を有する議員が行う討論の検討の場としてのみ)間接民主制を維持する。

(法律などの決定に対する意思表示としての投票行為を直接的に行う)直接民主制にする。

(法律などの決定に対する意思表示までの意見や質問で国会に直接的に参加できる)直接民主制にする。

法律などの概念を公理という概念で認識し、公理を決定する際には直接民主主義を意識し、国民投票を行う。

国民及び投票有権者と国会との間の情報伝達手段の方法を限定しない。

(あらゆる情報伝達手段の方法について及び、その方法の評価についてを議論する)

国民及び投票有権者と国会との間の情報伝達手段を担う責務のある機関を限定しない。

(あらゆる情報伝達手段を担う責務のある機関について及び、その機関の評価についてを議論する)

などという方法を提案します。

主に、法律的な側面、技術的な側面及び、経済的な側面が考察されます。

考察するためには、未来の状況から現在の状況を考察する視点が必要です。

次回に続きます。

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集合知としての公理と論理と矛盾について考察しました。(その2)

集合知としての公理と論理と矛盾について考察しました。(その2)

先ず、

ここで、先ほどの命題と含意命題演算式評価アルゴリズムという概念を導入して考察します。

先ず、第1命題を評価します。

次に、第2命題の評価により、矛盾の有無を評価します。

そして、

矛盾がある場合、その状態で停止します。

矛盾がない場合、第3命題を導入します。

そして、

第1命題と第2命題の評価値と第3命題の評価値の間に矛盾の有無を評価します。

以降、

矛盾が存在して停止するまで、命題を新たに導入して評価を繰り返します。

以上の行為を、含意(命題演算式)評価アルゴリズムと定義します。

この含意評価アルゴリズムは、矛盾が有る場合に停止します。

矛盾が存在するのは、矛盾の評価の前の命題が偽の評価の場合なので、

この含意評価アルゴリズムは偽の値を持つ命題を評価した場合に停止するとも言えます。

そして、

この含意評価アルゴリズムは真の値を持つ命題を評価し続けた場合は、

停止せず、さらに次の命題を評価し続けるます。

以上より、

この含意評価アルゴリズムは、偽の値を持つ命題を探すアルゴリズムと言えます。

また、

同様に、命題Bを第1命題、命題Aを第2命題の順序に評価を入れ替えて、

先ほどの含意評価アルゴリズムを考察します。

1.a1→b1=not(a1)+b1=b1+not(a1)=1+0=1は真

2.a1→b0=not(a1)+b0=b0+not(a1)=0+0=1は偽

3.a0→b1=not(a0)+b1=b1+not(a0)=1+1=0は真

4.a0→b0=not(a0)+b0=b0+not(a0)=0+1=1は真

この時、

命題Bが真の値の評価の場合に、命題Aの値は真もしくは偽の値となり、

矛盾が有る評価になります。

命題Bが偽の値の場合に、命題Aの値の評価により、含意命題の真偽値が決定するので、

矛盾が無い評価になります。

よって、

命題Bが真の場合に停止します。

つまり、

命題Aと命題Bの評価する順序を入れ替えて、

命題Bを第1命題、命題Aを第2命題とすると、

この場合の含意評価アルゴリズムは命題が真の値の場合に停止します。

従って、

この場合の含意停止アルゴリズムは、真の値を持つ命題を探すアルゴリズムと言えます。

そして、さらに考察します。

命題Aと命題Bの(公理によって決定される)評価値の真と偽の値が変更された場合、含意命題の真と偽の値は変わります。

そして、その場合は、この評価アルゴリズムも、(真の値を持つ命題を探すアルゴリズム)と(偽の値を持つ命題を探すアルゴリズム)とが入れ替わります。

また、ここで、

ある命題の評価値が真である場合の命題を定義という言葉で表現します。

さらに、

ある命題の評価値である真や偽の値が変更された場合、定義の評価が変更されたと表現します。

定義の評価が変更されても、この評価アルゴリズムは変わらずに動作するとします。

そのため、

もしも、定義の評価が変更された場合、

定義の評価が変更されたことを知っている場合と変更を知らない場合とでは、

評価アルゴリズムの停止という結果からの命題に対する評価は、真逆の値になり全く異なる結果となります。

それこそ、定義の意味が異なる結果となります。

以上までの、真と偽の値を探す2つの含意停止アルゴリズムを考察して、

やはり、

古代の西洋哲学では、矛盾の概念とは真の概念ではなく偽の概念の方が、近しい概念認識であったのかと結論します。

また、

真の概念の認識とは、偽の概念と矛盾の概念の認識から構成された概念である。

偽の概念の認識とは、矛盾の概念の認識から構成された概念である。

矛盾の概念の認識とは、認識という概念から構成された概念である。

認識という概念もまた、矛盾という概念の認識という概念から構成された概念である。

やはり、

西洋哲学は、矛盾及び認識及び矛盾の認識の概念から構成されている。

と結論します。

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集合知としての公理と論理と矛盾についての考察

集合知としての公理と論理と矛盾について考察しました。

2つの文(人間は矛盾している)(公理は矛盾を含む)を考察します。

文a(人間は矛盾している)と文b(公理は矛盾を含む)を、

公理(axiom)により、

文a(人間は矛盾している)の場合に真の値をとる命題A

文b(公理は矛盾を含む)の場合に真の値をとる命題Bとします。

ここで、

命題とは、その意味に対して、真または偽という相反する値を対応させることが可能な文のこと。とします。

公理とは、集合知(集合知識)として、

一般的に多くの人の間で正しいとされている意味を持つ文のこと。とします。

また、命題文に真の場合の値1、もしくは、偽の場合の値0を対応させることを評価、及び、評価する関数hを評価関数hとします。

そして、命題A、Bを評価して命題ah、bhと表し、a1=b1=1,a0=b0=0という計算が成立するとします。

考察のために、命題論理演算という概念を導入します。

命題Aの評価値Mと命題Bの評価値Nの間に、

論理積:M且つN、MそしてN、M(and) N、などの意味を記号でM*N(M掛けるN)

論理和:MまたはN、MもしくはN、M(or)N、などの意味を記号でM+N(M足すN)

否定:真、偽の値をそれぞれ入れ替える否定の意味を記号でnot(否定)

含意:MならばN、M→Nの意味を(notM)or(N)

((Mでない)もしくはN)とそれぞれ定義します。{(Mの否定)足す(N)}

そして、MとNに、真の場合の値として1、偽の場合の値として0をそれぞれの値として表します。

さらに、論理演算の規則として、

以下の値をとるとします。

0+0=0,

1+0=0+1=1,

1+1=1

0*0=0,

1*0=0*1=0,

1*1=1

ここでは、

含意命題論理演算{(命題A)ならば(命題B)}を、

{(命題A)→(命題B)}で表現して行い考察します。

{A→B=not(ah)or(bh)}のような記号の式で表して計算を行います。

命題A→命題B

1.(人間は矛盾している)ならば(公理は矛盾を含む)は真

=(人間は矛盾していない)もしくは(公理は矛盾を含む)は真

a1→b1=

not(a1)or(b1)=a0+b1=0+1=1は真

2.(人間は矛盾している)ならば(公理は矛盾を含まない)は偽

=(人間は矛盾をしていない)もしくは(公理は矛盾を含まない)は偽

a1→b0=

not(a1)or(b0)=a0+b0=0+0=0は偽

3.(人間は矛盾していない)ならば(公理は矛盾を含む)は真

=(人間は矛盾している)もしくは(公理は矛盾を含む)は真

a0→b1=

not(a0)or(b1)=a1+b1=1+1=1は真

4.(人間は矛盾していない)ならば(公理は矛盾を含まない)は真

=(人間は矛盾している)もしくは(公理は矛盾を含まない)は真

a0→b0=

not(a0)or(bo)=a1+b0=1+0=1は真

以上、4通りの計算結果が出ました。

この時、評価に順序の概念を導入して考察します。

最初に評価する命題を第1命題、次に評価する命題を第2命題とします。

第1命題である命題Aが真の場合と、

第1命題である命題Aが偽の場合の2つに場合分けします。

先ず、

第1命題が真の場合、第2命題である命題Bの値により、

含意(命題演算)式の評価値が決定されます。

それぞれ、

第2命題が真の場合、含意式の評価値は真

第2命題が偽の場合、含意式の評価値は偽のように決定されました。

この、

第2命題により、評価値の値が決定されることを、第2命題に矛盾がない。とします。

次に、

第1命題が偽の場合、第2命題である命題Bの値は真もしくは偽のどちらの値もでも、

含意式の評価値は真で決定します。

この、

第1命題の評価値により、第2命題が真もしくは偽のどちらの値でも、含意式の評価値が決定されてしまう場合を第2命題は矛盾している。とします。

ここで、含意命題演算式評価アルゴリズムという概念を導入します。

先ず、第1命題を評価します。

次に、第2命題の評価により、矛盾の有無を評価します。

そして、

矛盾がある場合、その状態で停止します。

矛盾がない場合、第3命題を導入します。

そして、

第1命題と第2命題の評価値と第3命題の評価値の間に矛盾の有無を評価します。

以降、

矛盾が存在して停止するまで、命題を新たに導入して評価を繰り返します。

以上の行為を、含意(命題演算式)評価アルゴリズムと定義します。

次回に続きます。

集合知としての公理と論理と矛盾についての考察 続きを読む »

意味や論理と文法と思考と行動や文化という概念についての考察(3)

今回は意味や論理と文法と思考と行動や文化という概念について考察しました。(3)

今回、3種類の論理演算を行いました。

結論として、

含意命題演算を含意命題アルゴリズムとして定義します。

そして、含意命題演算アルゴリズムには、第1命題の評価が重要である。

つまり、第1命題としての定義が重要である。

含意命題アルゴリズム(日本語では(ならば)と表現)は論理積(アルゴリズム)(日本語では(そして)と表現)とは、

日本語では同じような概念の表現として認識されているが、

大きく異なる概念である。

考察を進めます。

ここで、第1命題が「主語」(日本語では(私は)英語では(I)などの表現)に対しての命題であるとします。

(第1命題は主語が表す意味に対する定義である。とします。)

日本語の場合は主語が省略されている場合が多いようです。

また、述語である動詞が最後にくる場合が多いようです。

逆に、多くの外国語では、1番初めに主語を用いる場合が多いようです。

2番目に述語である動詞を用いることの場合が多いようです。

さらに、

日本語を話す文化と外国語を話す文化、及び契約や思考や行動という概念を交えて考察します。

日本語話者の場合は、

命題の評価結果は、1番最後の命題にかかっている(と無意識的に認識している)ので、

(注意や思慮が深いと言われる状態では)思考や行動の決断を先延ばしにしてしまう。

(注意や思慮が浅いと言われる状態では)思考や行動の決断を早めにしてしまう。

逆に、

「主語」「述語」が1番初めと2番目にくる文法を持つ外国語話者の場合は、

命題の評価結果は、1番初めの命題にかかっている(と無意識に認識している)ので、

(注意や思慮が深いと言われる状態では)思考や行動の決断を早めにしてしまう。

(注意や思慮が浅いと言われる状態では)思考や行動の決断を先延ばしにしてしまう。

ことが多いのではないかと推測します。

ビジネスを初めとして様々な契約の場での思考や行動という概念も同様に考察しますと、

契約という決断の場などでの概念においても、上記の推測が当てはまる場合が多いのではないか。とも認識しています。

また、

日本語話者の場合には、他者の様々な話をよく聞きながら、様々な概念や状況を次々と評価し、思い浮かべたり思考したり多様な認知をしながら、行動することが可能である。

という良い評価があると認識します。

外国語話者の場合には、事前に自身の評価をして、決断の評価を早く行い、さらに他者の話をよく聞いて、その決断の信用性の評価を高めていく。

という良い評価があると認識します。

最後に

あらゆる全ての様々な概念が、様々な思考を形成し、さらに様々な行動を形成し、様々な文化を形成し、様々な言語を形成し、様々な存在を形成してゆくメタ概念存在である。

と結論いたします。

意味や論理と文法と思考と行動や文化という概念についての考察(3) 続きを読む »

意味や論理と文法と思考と行動や文化という概念についての考察(2)

今回は意味や論理と文法と思考と行動や文化という概念について考察しました。(2)

次に、含意(演算)を取ります

ここで、

命題論理演算という概念を導入します。

先ほどの「AはBである」を命題E、同様に「CはDである」を命題Fとします。

命題E や命題Fなど、全ての命題は「真」もしくは「偽」のなどの相反する意味を持つ値である評価値をとるとします。

命題Eの評価値Mと命題Fの評価値Nの間に、

論理積:M且つN、MそしてN、M(and) N、などの意味を記号でM*N

論理和:MまたはN、MもしくはN、M(or)N、などの意味を記号でM+N

否定:否定の意味をnot

含意:MならばN、M→Nの意味を(notM)or(N)

((Mでない)もしくはN)とそれぞれ定義します。

そして、再び文acを評価した文ahchに演算を適用して考察します。

そして、今回は

a1:(犬は欲張る)という命題の評価に、真の値として1

c1:(犬は肉を落とす)という命題の評価に、真の値として1とします。

つまり、(犬は欲張る)(犬は肉を落とす)という2つの文が、ここでの「犬」に対しての定義になります。

含意(演算)を取ります

1. a1→c1=not(a1)or(c1)=a0+c1=0+1=1

(犬は欲張る)ならば(犬は肉を落とす)

~(犬は欲張らない)もしくは(犬は肉を落とす)は真

2. a1→c0=not(a1)or(c0)=a0+c0=0+0=0

(犬は欲張る)ならば(犬は肉を落とさない)

~(犬は欲張らない)もしくは(犬は肉を落とさない)は偽

3 .a0→c1=not(a0)or(c1)=a1+c1=1+1=1

(犬は欲張らない)ならば(犬は肉を落とす)

~(犬は欲張る)もしくは(犬は肉を落とす)は真

4. a0→c0=not(a0)or(c0)=a1+c0=1+0=1

(犬は欲張らない)ならば(犬は肉を落とさない)

~(犬は欲張る)もしくは(犬は肉を落とさない)は真

4通りの内

3通りが真の評価です。

含意(演算)の場合は、

4通りの演算結果の組み合わせができました。

4通りの内、3つが真の値で1つのみが偽の値です。

ここで、

第1番目の命題を第1命題。第2番目の命題を第2命題として、その真偽値を分けて考察します。

先ず、

第1命題が真の値の場合。

含意演算の真偽値は、

第2命題が真の値の場合、含意演算の値も真

第2命題が偽の値の場合、含意演算の値も偽

よって、

第1命題が真の値の場合、含意命題の演算結果は、

第2命題の真もしくは偽の値に等しい。

つまり、

含意演算結果は、

第1命題が真の値の場合は、

第2命題の真偽値の評価と等しい、且つ、

第2命題の真偽値によって評価される。

次に、

第1命題が偽の値の場合。

含意演算の真偽値は、

第2命題が真の値の場合、含意演算の値は真

第2命題が偽の値の場合、含意演算の値は真

よって、

第1命題が偽の値の場合、含意命題の演算結果は、

第2命題の真もしくは、偽の値によらず、常に真

つまり、

含意演算結果は、

第1命題が偽の値の場合は、

第2命題の真偽値の評価によらず、常に真の値をとる、且つ、

第2命題の評価は不要である。

さらに、

第1命題と第2命題の論理演算としての含意演算は、

第1命題が真の値の場合は、

第2命題の評価へと進み、第2命題の評価の結果で含意命題の評価の真偽値が決定される。且つ、

第1命題の評価値のみでは、含意命題の評価は決定不可能である。

そのため、次の第2命題の評価へと進む。

そして、第2命題を評価する。

最終的に、含意命題演算の評価値が決定する。

という評価アルゴリズムが存在する。

第1命題が偽の値の時は、

第1命題の評価により、

そして、含意命題演算の評価が終了。

第2命題の評価は不要。

という評価アルゴリズムが存在する。

以上より、

1.第1命題と第2命題の評価から始まる、

含意命題演算の評価を決定する要素と関数を含むアルゴリズムが存在する。

2.第1命題の評価が、含意命題演算の結果にとって重要である。

3.含意命題演算は、{(第1命題)ならば(第2命題)である}という(ならば)という表現の日本語を用いる演算であるが、

(そして)という論理積演算とは大きく違う結果になる論理演算である。

次回に続きます。

意味や論理と文法と思考と行動や文化という概念についての考察(2) 続きを読む »

意味や論理と文法と思考と行動や文化という概念についての考察(1)

今回は意味や論理と文法と思考と行動や文化という概念について考察しました。

今回の考察でも意味という概念について前回同様に定義します。

先ず、「文」を複数の「要素」に分けます。

そして、その分けられた複数の要素にそれぞれ「評価(評価関数)」を入れて、

新たに複数の文を創ります。

さらに、それらの文の各要素と各文の「関係」の組み合わせの集まりを「意味」と定義します。

また、先ほどの要素に評価を入れて新たに複数の意味を作ることを、意味を拡大する。と定義します。

そして、その(各要素と各文の関係の組み合わせの集まり)の「関係」を考察することを「意味」を考察すると定義します。

「意味」には評価関数hが存在すると定義します

「意味」には評価関数hによる「真」、「偽」や「肯定」、「否定」などの概念が存在すると定義します。

また、全ての要素が(評価の出来ない)要素からなる文は、

「意味が無い文」「(この)文には意味が無い」と定義します。

それでは、

前提文:「犬は欲張って、肉を落とした。」という文を、

(犬は欲張る)(犬は肉を落とす)という2つの命題に言い換えて表します。

ここで、命題とは「AはBである」のAやBにある言葉を入れた文であり、且つ評価が可能な文である。と定義します。

ここで、

(犬は欲張る)を文a、(犬は肉を落とす)を文cという記号でそれぞれ表します。

(犬は欲張る)(犬は肉を落とす)を文acと表します。

まず、

文acを評価して、文ahchと表します。

そして、hには評価の値として真は1の値、偽は0の値を取ると定義します。

ここで、

命題論理演算という概念を導入します。

先ほどの「AはBである」を命題E、同様に「CはDである」を命題Fとします。

命題E や命題Fなど、全ての命題は「真」もしくは「偽」のなどの相反する意味を持つ値である評価値をとるとします。

命題Eの評価値Mと命題Fの評価値Nの間に、

論理積:M且つN、MそしてN、M(and) N、などの意味を記号でM*N

論理和:MまたはN、MもしくはN、M(or)N、などの意味を記号でM+N

否定:否定の意味をnot

含意:MならばN、M→Nの意味を(notM)or(N)

((Mでない)もしくはN)とそれぞれ定義します。

そして、再び文acを評価した文ahchに演算を適用して考察します。

そして、今回は

a1:(犬は欲張る)という命題の評価に、真の値として1

c1:(犬は肉を落とす)という命題の評価に、真の値として1とします。

つまり、(犬は欲張る)(犬は肉を落とす)という2つの文が、ここでの「犬」に対しての定義になります。

今回は「主語」という存在について及び、主語の定義の方法の適正などについて「真」や「偽」や「評価」や命題論理を用いながら考察します。

まず、論理積を取ります

1.a1*c1=1*1=1

(犬は欲張る)そして(犬は肉を落とす)は真

2.a1*c0=1*0=0

(犬は欲張る)そして(犬は肉を落とさない)は偽

3.a0*c1=0*1=0

(犬は欲張らない)そして(犬は肉を落とす)は偽

4.a0*c0=0*0=0

(犬は欲張らない)そして(犬は肉を落とさない)は偽

4通りの内

1通りのみが真の評価です。

論理積の場合は、

複数の命題が、全て真の時のみ、演算結果の評価が真となりました。

1つでも偽の命題が存在していると演算結果の評価が偽となるかなり厳しい評価方法です。

これは連続や時間という概念と関係がある概念と認識しています。

もしも、時間の流れの中に空白というものが存在したら、

それは時間という概念ではないと認識します。

次に、論理和を取ります

1.a1+c1=1+1=1

(犬は欲張る)もしくは(犬は肉を落とす)は真

2.a1+c0=1+0=1

(犬は欲張る)もしくは(犬は肉を落とさない)は真

3.a0+c1=0+1=1

(犬は欲張らない)もしくは(犬は肉を落とす)は真

4.a0+c0=0+0=0

(犬は欲張らない)もしくは(犬は肉を落とさない)は偽

4通りの内

3通りが真の評価です。

論理和の場合は、

複数の命題の内、1つでも真の命題が存在すれば演算結果の評価は全て真となります。

これは空間や領域という概念と関係がある概念と認識します。

ある空間や領域が存在しているという概念には同時に、その空間や領域の中に存在していない別の空間があっても空間や領域という概念は成立していると認識します。

次回に続きます。

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