公理の決定と民主主義的方法について日本国憲法上の自然権と自由意思と物理的な存在という情報を交えての考察(その2)

公理の決定と民主主義的方法について日本国憲法上の自然権と自由意思と物理的な存在という情報を交えて考察しました。(その2)

現在の日本では、民主主義という表現には、社会的且つ物理的な方法及び存在という意味での認識が多い。

しかし、民主主義という情報とは、個人的且つ社会的な物理的存在という情報に、連続的に、自由意思という情報を加えて自然権である個人や社会にまで拡大された情報である。

社会的や個人的な物理的存在という情報よりも自由意思という情報の方が遥かに大きな情報である。

民主主義という情報にとって一番重要で一番大きい情報とは、

(自然権である)個人及び(自然権である個人の集まりである)社会という情報である。

自由意思とは、個人がある情報を意識して認識し、さらにその情報の真偽値を評価して知識という情報とする。且つ、そのプロセスを何回でも自由に無限回まで繰り返すことが可能である。という情報である。

自由意思という情報の中にも意識、認識、評価、知識という、それぞれ相互に関係性をもつ情報が包摂されている。

自由意思という情報の大きさとは、自由意思に包摂されている、これらの情報の様々な関係性の多さ及び、先ほどのプロセスの回数の多さである。

自由意思と物理的存在とを包摂している情報が自然権という情報である。且つ、個人という情報である。

物理的存在は超無限にまで大きな無限な存在では無い。

自由意志という情報が無限に大きくなれば、自然権という情報も無限に大きくなり、自然権である個人という情報も大きくなる。そしてさらに、個人の集まりである社会という情報も無限に大きくなる。

個人、社会及び自由意思という情報が無限に大きくなれば、民主主義という情報も無限に大きくなる。

民主主義という情報が大きくなれば、社会的な問題の意味及び意味の評価という情報及び関係性という情報が大きくなるので、社会的な問題解決の方法という情報も大きくなる。

最後に、民主主義をはじめあらゆる全ての情報を大きくするには、個人の自由意思を大きくして、そのような個人が多く集まる社会にすることである。

自由意思という情報を大きくするには、あらゆる全ての情報への意識、認識、評価及び知識の関係性を多く且つ大きくする。

自由意思という情報を大きくするには、あらゆる全ての情報への意識、認識、評価及び知識へのサイクルを多く繰り返す。

と結論します。

個人、社会、自由意思及び民主主義という情報の関係性により、

個人の超無限な自由意思としての無限の多様性及び意味をもち、無限に繰り返される真偽の評価を可能とする良質な情報が、フォートトークという世界最高の安全性をもつ存在及び情報を用いて、あらゆる無限な方向で安全に流通することにより、様々な結びつきを持つ社会が民主主義的に無限に誕生している。

民主主義的に無限に形成されている様々な結びつきを持つ社会から発信された、無限の多様性及び意味をもち、無限に繰り返される真偽の評価を可能とする良質な情報が、フォートトークという世界最高の安全性をもつ存在及び情報を用いたあらゆる無限な方向での安全な流通により、自由意思としての超無限の情報である個人という超無限な情報が誕生している。

という近未来を見ています。