生まれたばかりの
私達にとって、当たり前のように、
意味の無い、とても抽象度の低い存在であった、
「実名」という情報存在は、
私達にとって、
私達が誕生してから現在までの、
「知識量」や「自我の成長度」や「抽象度の高さ」を、
「評価する測度(バロメーター)」という「情報」「存在」でもある。
と表現することが可能であると思います。
今回も、
「集合的実名主義」について考察しました。
先ず、
「(集合的)(実名)(主義)」であるとして、
「(実名)」に着目しました。
そして、
「実名」を抽象的に展開し考察してみます。
(実名)=(戸籍名)
=(国家に登録した(氏名))
=(自分以外の親族が(国家に登録した(氏名)))
=(自分自身が自分自身の自我により認識する以前に(自分以外の親族が(国家に登録した(氏名))))
以上のように、
私達が誕生し、
「実名」が誕生した時点に遡り、
「実名」についての抽象度の階段を駆け上りながら考察してみました。
私達が誕生した時、
私達の名付け親の方々にとっては、
私達の未来から引用した、とても情報量の多く、抽象度の高い
「実名」という情報でした。
しかし、
まだ、自我もままならない存在(赤ん坊、赤ちゃん)であった、
その当時の私たちには、
「実名」とは、意味の無い、とても抽象度の低い情報でありました。
(作家の故 三島由紀夫氏の様に、赤ちゃんの時から自我があったと言われている方は別です。)
(三島由紀夫氏は産湯に浸かっている時からの記憶があったそうです。)
そして、
私達が成長するにつれて、
私達の知識も増えて、
私達の自我も成長して、
私達の抽象度も高くなり、
私達の「実名」の意味も多くなり、
私達の「実名」のもつ情報量も増えて、
私達の「実名」のもつ抽象度も高くなり続けています。
初めは、
生まれたばかりの
私達にとって、当たり前のように、
意味の無い、とても抽象度の低い存在であった、
「実名」という情報存在は、
私達にとって、
私達が誕生してから現在までの、
「知識量」や「自我の成長度」や「抽象度の高さ」を、
「評価する測度(バロメーター)」という「情報」「存在」でもある。
と表現することが可能であると思います。